一夜狂欢
1963年秋天,为了从红透半边天的甲壳虫身上赚笔钱,美国的United Artists和甲壳虫签约拍摄一部电影,目的是得以在美国推出电影的原声唱片。他们找到Walter Shenson做制片,Richard Lester导演,在1964年拍摄了电影A Hard Day's Night。  Shenson在1963年秋甲壳虫前往美国前与他们接触,要求他们为电影创作6首歌——题材不限,但要有两首抒情歌曲,两首快节奏的舞曲等等。在加勒比海度假期间,他们创作了八九首歌,Dick Lester从中选出了六首用于电影中,这些歌曲是:You Can't Do That、And I Love Her、I Should Have Known Better、Tell Me Why、If I Fell、I'm Happy Just to Dance with You。3月2日拍摄开始前,甲壳虫在伦敦EMI录音室里录制了这些歌曲。其中演奏You Can't Do That的部分在电影推出时被剪辑掉了,但之前就做为Can't Buy Me Love单曲的B面发行,也仍然出现在美国版的原声唱片上。  电影拍摄从3月2日开始,至4月24日结束。影片用夸张的手法描述甲壳虫一天的生活,其主题来自John Lennon说过的一句话。当Lester问John他们的瑞典之行如何时,John答道:“It was a room and a car and a car and a room and a room and a car.”这句话稍加变动后被用在电影里,变成了“Paul的爷爷”的台词。  Shenson原先以为他可以随便找一首新歌的歌名作为电影题目,但这六首新歌都不太合适。拍摄期间,大家绞尽脑汁为电影找一个合适的名字。最后有一天,John和他聊天时提起Ringo有趣的语言,并举出“A hard day's night”为例。John自己在刚出版的《In His Own Write》也曾经使用过这个短语。大家一致同意它可以作为电影题目。于是John按Shenson的嘱咐,以此为题创作了电影的主题歌,并在4月16日拍摄电影期间把它录制下来。  美国出版的电影原声唱片只包括这七首新歌,但为了Parlophone的英国唱片,他们在6月回到录音室,又录制了5首新歌 I'll Cry Instead、I'll be Back、Any Time At all、Things We Said Today和 When I Get Home。加上电影里使用的他们之前发行过的单曲Can't Buy Me Love,英国的专辑唱片里一共有13首歌,全部是甲壳虫的原创歌曲。这是他们第一次能够推出一张全部原创的专辑。  这一成就主要应归功于John Lennon当时旺盛的创作力。在这13首歌里,9首都是他主笔创作的。Paul主笔创作了3首歌,并和John合作为George创作了I'm Happy Just to Dance With You。当然,按照主创者主唱的原则,John在这张专辑中的主唱也远远超过其他三人,甚至没有给Ringo一个表现的机会。  A Hard Day's Night的电影成为摇滚电影的经典,教给整整一代年轻人反叛的原则,而这张专辑标志着甲壳虫的创作进入了一个新的阶段,我们可以把它叫做“早期阶段的中期”吧?
一发必胜
1969年の松竹作品。脚本が森崎東と山田洋次。監督は山田洋次。  藤原審爾の『三文大将』が原作とか。山田洋次作品というよりも、森崎さんの特徴が出た、アクのある怪作でした。よくこんな映画が作れたなあと感心してしまうほど作家性の強い映画で、喜劇と銘打っていますが、話は途方もない展開をします。ハナ肇をブルート、倍賞千恵子をオリーブ、谷啓をポパイに見立てて展開する人情喜劇というのが宣材の惹句ですが、とてもそんな風には見られませんでした。  冒頭から森崎さんらしさの連続です。お婆さん(武智豊子)がバスに乗ろうとして、よろよろ駆けて来ます。バスガイド指導員のツル代(倍賞千恵子)が?墓場ゆきですよ!?と案内する。お婆さん相手に?墓場??墓場?という言葉がなんの遠慮もなく、ぶつけられる。  貧乏長屋のおじさんたち四人(田武謙三、桑山正一、佐山俊二、佐藤蛾次郎)が、カラーテレビの入った(という)ダンボール箱を持って乗り込んでくる。ガイドはツル代(倍賞)だが、新米ガイドの教育係なのでこのバスには二人のガイドがいる。焼き場で降りようとして、男たちは箱を落としてしまう。中から死体の足が飛び出してしまい、ギョっとする一同。  貧乏長屋の男たちは仲間の暴れん坊のウマ(いかりや長介、写真だけの出演)がフグの毒にあたって死んだので、無縁仏として火葬したのだが、役場の保健局の左門(谷啓)が都合した棺桶代を酒代にして宴会!貧乏人の宴会というバーレスクな展開はまさに森崎流です。  ところが、そこへぬっと現れたヒゲづらの男(ハナ肇)。これがウマの友だちで、ボルネオ帰りの暴れん坊。事情を知ったヒゲ男は、お前たちがウマを見殺しにしたと怒る。ただただあわてふためく、共同体のなかの、弱くて無責任な男たちと、酔って理不尽に暴れる外来者=エイリアン。  ヒゲづら男は、ウマのお骨をすり鉢で粉にして水と醤油を加え、男たちに無理やり飲ましてしまう(これはまるっきり、森崎さんの世界!)。逃げまどう男たち。暴れるハナは長屋を壊すので、大パニック。谷啓扮する心臓が悪いという左門はおろおろするばかり。喜劇というよりも怪奇劇ですね、これは。森崎さん脚本?監督の怪作『生まれかわった為五郎』でも、ハナ肇=為五郎が小便を飲むシーンがありましたが、それに匹敵するアクの強さです。  ハナ肇は結局、最後まで名前が紹介されず、みんなには?御大(おんたい)?と呼ばれています。この迷惑者を追い出そうとする住人たちの計画はことごとく失敗して、混乱はエスカレートしていきます。  気の強いつる代も長屋の住人だが、夫は刑務所入りらしく赤ん坊を抱えて、後家状態。気の弱い左門に頼っているが、まだ夫の籍に入っているので、左門と結婚はできない。  暴れ者の御大は誰からも同情されることなく、最後まで迷惑者で終始します。  つる代に惚れた御大が傷害保険目当てに工事現場から飛び降りると、その意図を察した左門はとめようとして、御大の下敷きとなり、死んでしまう。通夜の席上、御大は死人を棺桶から引きずり出し、一緒に踊ると、死人は息を吹き返す。しかし、御大はこれに気づかず、長屋を出てしまう。このあたりの奇怪な死人との踊りやドタバタの描写も森崎さんらしいアクの強さです。  つる代にプロポーズした左門は、つる代に?籍がまだ????と言われて出奔して、乞食同然の生活となる。  最後は廃バスで寝ていた左門と、そのバスをトレーラーでつぶした御大が再会し、再会を祝して白い砂をかけあったりして喧嘩をするロング?ショット。  いやはや、とんでもない作品でした。(2001年9月)
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